”花の命は短くて苦しきことのみ多かりき”
林芙美子の短詩「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」は、彼女が色紙などに好んで書いたものとして有名です。女性の人生を花にたとえて、特に若い時代の短さと、苦しい経験が多かったという彼女の半生が反映されているとも言われています。女性の儚さや、人生の儚さを描いたこの詩は、多くの人の共感を呼び続けています。
一方で、林芙美子はこの詩とは少し異なるニュアンスを持つ詩を、同じ時代に活躍した翻訳家・村岡花子にも贈っています。その詩が「風も吹くなり 雲も光るなり」です。
風も吹くなり 雲も光るなり
生きてゐる幸福(しあわせ)は
波間の鷗のごとく 漂渺とたゞよひ
生きてゐる幸福(こうふく)は
あなたも知ってゐる 私もよく知ってゐる
花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かれど
風も吹くなり 雲も光るなり
この詩には、悲しみの中にも希望が感じられます。「多かりき」という過去形の表現に比べて、「多かれど」という表現は、今の苦しみが続いていても、その先には何かがあるという前向きな感情を抱かせてくれます。
さらに、「生きている幸福」を「あなたも知ってゐる、私もよく知ってゐる」と語る部分も、個人の孤独な体験ではなく、誰もが共有できる人生の喜びや幸福だと感じさせてくれるので好きです。たとえ短い瞬間であっても、人生の中に輝きや喜びがあり、それは一人のものではなく、他者とも共感できるものであるというメッセージが伝わってきます。
私にとって、この詩は希望の象徴でもあります。人生には苦しい時期が多く、幸せが永遠に続くことはありませんが、これまでの人生の中で幸せな瞬間を感じたことがあるからこそ、生きることの幸福を知っているのだと、この詩は教えてくれます。それは、自分だけでなく「あなた」も同じであり、みんながそれぞれの人生で感じた幸福の瞬間があるのだと。
私はこの詩を読むたびに、日々の生活の中で感じる小さな喜びや希望を再確認し、どんなに辛い状況でも前を向いて進んでいこうという気持ちになります。この詩は、私にとって心のお守りのような存在であり、大切にしている詩です。
~最後までお読みいただき、ありがとうございました~